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5月14日に予定していた龍田教室の発表会はコロナの影響で中止😔せざるを得なくなり、そこで次のレッスン日(28日)に通常のレッスンを兼ねたミニ発表会をしました。今日はこの日のために高木美和さんの友人・栗原加代子さん🏃♀️が山口県下関市から駆け付けてくれました。栗原さんは以前、熊本教室に在籍されていましたが、ご主人の転勤で1年前に下関に引っ越されました。🚚そして下関から比較的近い一美塾の北九州教室(北九州市小倉北区)に入会されました。同じ北九州教室の文屋功さん🏃も応援に駆け付けてくれました。講師の私たち2人を含めて7人というささやかな発表会でしたが、中身の濃い充実したひと時を過ごすことができました。🙌
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『トラップ一家物語ダイジェスト』
不朽の名作『サウンド・オブ・ミュージック』で、トラップ大佐がエーデルワイスをギターを弾きながら歌うシーンは何度観ても胸がじ~んときますね。そして驚くのはこのトラップ大佐とその家族(全部で12人)は実在していたということです。その物語をダイジェスト版でまとめてみましたので興味のある方はお読みください。
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ゲオルグ・フォン・トラップ(トラップ大佐)は実在の人物で、最初の妻が亡くなったあとに、家庭教師であったマリア・アウグスタ・クチェラと再婚し、前妻の子供7人とゲオルグとマリアとの間に生まれた3人の子供を合わせ12人の大家族となりました。そして妻のマリアの自叙伝を脚色してつくられたのがミュージカル映画『サウンド・オブ・ミュージック』です。
史実(映画のストーリーとは一部異なります。)によると、ゲオルク・フォン・トラップ大佐(ゲオルク)は旧オーストリア=ハンガリー帝国海軍の少佐で、第1次世界大戦で潜水艦艦長として従軍しオーストリア海軍の国民的英雄になりますが、退役後の1933年にオーストリアを襲った金融恐慌によりトラップ家の財産を預けていた銀行が倒産し一家は財産を失います。そこでトラップ邸の空き部屋を神学生に貸し出して歌を各地の催しで披露し収入にしていこうとマリアが提案します。宿舎付き神父フランツ・ヴァスナーはかつてローマで教会音楽を学んでおり、やがて兄弟姉妹の歌の指導・編曲、後にはフォン・トラップ家の財産管理さえも行うようになります。1936年に彼らはザルツブルグ音楽祭のコンテストに参加し、ヴァスナー神父の指揮で兄弟姉妹と母親で歌ったところ優勝します。これを契機に合唱団は人気を博し、やがて「トラップ室内聖歌隊」という名前でヨーロッパ全域を回り、コンサート活動を行います。
1938年、オーストリアはナチス政権下のドイツに併合されます。オーストリア全土にドイツ軍の進駐が進み、完全にドイツの下に組み込まれましたが、ゲオルクはナチスの旗を家に飾ることを拒否し、ドイツ海軍省からの召集も拒否します。その頃、合唱団がアメリカ合衆国のエージェントから公演の依頼を受けていたこともあり、彼らは家族でオーストリアを離れることになります。映画では、トラップ一家は徒歩で山を越えて逃亡先のスイスへと向かうところで終わっていますが、実際には行動を共にすることに決めたヴァスナー神父と共に、汽車🚂を乗り継いで転々としながら最終的にイギリスのサウサンプトンの港⚓からアメリカへ向けて出航🚢したそうです。
マリアは後年『私達はアルプスの反対側、現在はイタリア領ですがそこへ辿り着きました。昨日までお金持ちであったのに、次の日から難民になって、貧しい中でも特に貧しい人達になってしまいました。難民は、お金がないだけじゃなく権利もない人達でした。どの国も(難民に対しては)5、6週間の滞在ビザしか発行してくれないので、イタリアからフランス、フランスからベルギー、ベルギーからオランダへと転々としました。お金も無くなって、唯一上手にできるのが歌うことだったので趣味が本職になり、それで一家の生計のやりくりをしていました』と語っています。
ミュージカルは大ヒットし世界の人々に感動を与えましたが、現実とかけ離れた物語の設定やゲオルクの父親像にマリアと子供たちはショックを受けたそうです。この映画の感想についてアガサ(前妻との間の長女)は、「父親が厳し過ぎるという誤った解釈をされているわ、実際はもっと愛情のある、優しい父親だった」として、初めて鑑賞した際に泣いたことをアガサの友人であるメアリー・ルイーズ・ケーンが明かしたそうです。またアガサは「この映画が自分の家族をベースにした映画でなければ、もっと楽しめた」と後年語ったそうです。アガサの複雑な気持ち、理解できますね。
マリアは後年、マリア役を演じたジュリー・アンドリュースがホストを務める『The Julie Andrews Hour』にゲストで出演した時は、ジュリーの演技が素晴らしいと褒めたそうです。
先程出てきたのがサウサンプトンという港町ですが、これで思い出すのが1912年にこの港から悲劇の処女航海に出港したタイタニック号ですね。事実は小説よりも奇なりと言いますが、トラップ一家の歩んだ人生は映画のストーリーでは語りつくせないものがあったに違いありません。
人生とは筋書きのないドラマ。トラップ一家に限らず私たちの人生は、誰一人例外なく映画のスクリーンや言葉などでは表すことのできない奥深いものではないでしょうか。
トラップ一家はコンサート活動を終了すると、マリアは数人の子供とアメリカ・バーモント州のストウという地でトラップ・ファミリー・ロッジ(Trapp Family Lodge)を開き、自給自足の傍ら訪問者をもてなしながら各地で講演活動を行ったそうです。現在、このロッジはトラップファミリーの10番目の子供ヨハネス・フォン・トラップの息子であるサム・フォン・トラップによって管理されているそうです。
ちなみにバーモントと言えば、日本人の私たち(特に60代以降の人たちでしょうか)にはハウス食品の「バーモントカレー」🍛のコマーシャルを思い出しますね。『バーモントの名は、米国東部の長寿で有名なバーモント州に民間療法として伝わるりんご酢とはちみつを使った「バーモント健康法」にちなんだもので、この健康法は当時日本でもブームになっていました。』はハウス食品のホームページからの引用です。発売が1963年だそうです。私が10歳の時ですが、テレビでよく観ていました。何となく当時のコマーシャルのメロディも浮かんできます。まあこれはトラップファミリーとは直接関係がありませんが、歴史を何かに関連付けて探求していけば知識が広がり面白いですね。😀
今日はデュオ栗原&高木の素敵なエーデルワイス演奏からトラップ一家の波乱万丈の人生、タイタニック号、バーモントカレーへと進みました。最後までお付き合い有り難うございました。