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ブログ第63号:帆船模型展を見学

福岡市の赤煉瓦文化館で帆船模型展を見学

 4月1日(月曜日)は福岡市の赤煉瓦文化館で開催中の第42回ザ・ロープ九州帆船模型展を見学してきました。10日程前に筑紫野教室の水間敏明さんから模型展の招待状をいただきました。水間さんは模型の帆船作りが趣味だそうです。

 一美塾の福岡教室(福岡市中央区渡辺通1-1-2 、ホテルニューオータニ2階)へは通常、車で往復しています。この日は久しぶりに西鉄電車に乗って行ってきました。会場で水間さんに会えるかなと思っていましたが、この日はあいにくお休みで残念でした。会場内には世界の様々な帆船⛵が展示され、係の方からいろいろと模型の作り方などを説明していただきました。

水間さん制作のH.M.Sテラー号

 H.M.Sテラー号は北極探検船で、1848年大西洋からアジアへと抜ける北西航路を探す航海中に氷に行方を阻まれ身動きが取れなくなり、その場に放棄されました。

 テラー号を率いていたのは、19世紀の英国海軍の英雄であり、北極探検家だったサー・ジョン・フランクリンです。フランクリンは、129名の乗組員とH.M.S.エレバス号、H.M.S.テラー号という当時最新鋭の2隻の船を率いて1845年に英国を出発しました。どちらの船も船首は鉄で保護されており、客室には室内スチーム暖房が付き、図書室には1,000冊以上の図書が収められ、3年分の食料も積まれていました。探検の目的は、ヨーロッパから北極海を経由して太平洋に至る北西航路を発見し、その海図を作成することで、少なくとも机上においては、北極で待ち構えているあらゆる困難に耐えられる準備ができているはずでした。

 しかし、1847年6月、計画にほころびが生じ始めます。おそらく心臓の疾患が原因でフランクリンが死に、ほかにも23名の乗組員も死にました。10カ月後、後任の隊長となっていたフランシス・クロージャーは重大な決断を下します。キング・ウィリアム島の石の塚に残されていた記録によると、氷に閉じこめられて身動きが取れなくなった2隻の船を放棄し、カナダ本土にある交易所に向かうことにしました。しかし、誰一人としてそこにたどり着くことはできず、以来フランクリン隊がどうなったのかは謎のままで、船も発見されず世界の航海史上最大級の謎とされてきました。

 2014年にカナダの国立公園を管理するパークス・カナダの考古学者たちがキング・ウィリアム島の南、水深11メートルほどの場所に沈んでいたエレバス号の残骸を発見。そして2016年にテラー号の残骸が発見されました。

 模型を見ていたときは、戦争に使われたんだろうか、それにしては大砲が搭載されていないので食料船だったのかなあなどと勝手に想像していましたが、歴史を紐解いていくと、想像も付かないような経緯や結末が浮かび上がってきますね。勉強になりました!!

 

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